こんにちは、りんです🍎🍯
今回は、バルト三国最終日リトアニア🇱🇹へ!1日で杉原千畝記念館のあるカウナスと、首都ビリニュスへ行ってきました。
今回の旅行日程
エストニア(タリン)
ラトビア(リガ)
2023年4月7日。
7:00 リガを出発
ラトビアの首都リガのバスステーションにはピザ🍕の自動販売機が!!治安がよくない海外では自動販売機が設置されないと聞いたことがある。リガには自動販売機がある!ということは、治安がいい!?
11:00 ビリニュス駅到着
リトアニアの首都、ビリニュスに到着!第二の都市カウナスにある杉原千畝記念館は15時までということで、急遽急いでカウナスへ!(後に開館は17時までと判明)
カウナス駅到着
カウナス駅に到着すると、杉原千畝さんの像がお出迎え。記念館へは15分くらい歩きます。
記念館へ行く途中の道。リトアニア(バルト三国の1番南の国)には家庭用太陽光発電がある!数軒取り付けていたのを見た。
記念館は何の変哲もない普通の住宅街にある。
14:00 杉原千畝記念館到着
記念館到着。小さいとは聞いていたが、普通の家でびっくり!元々ある人のお家だった(事情で家主がこの家に住めなくなった)のを杉原千畝さんが借りて、そのまま日本大使館として使ったのだとか。
入り口には「命のヴィザ」という文字が。Visaの表記が「ビザ」ではなく「ヴィザ」だったのでちょっと笑った。
しっかり日本語で案内されている。館内も日本語あり。
入場すると優しいおじさんが出迎えてくれた。リトアニア人の方なのかな?英語で。
杉原千畝記念館への入場は2.5€(学生料金?)。現金のみ。
パンフレットに記載されている営業時間(2023年4月7日現在)。時期によって営業時間が変わるので要注意⚠️!!GoogleMapは間違えていた。
さっそく中へ。はじめに20分ほど動画を見て、その後展示を見る。同じ時間に日本人がいたので揃って日本語字幕での動画視聴。私たちの前にも更に別の日本人がいた。日本人が多いと思う。入場者自体は少なそう。
「命のビザ」
杉原千畝さんは、1939年~40年に1年弱リトアニア大使館として勤務。1年程度と短い勤務期間に驚いた。
ビザ発行の経緯:
ナチスが指揮していたドイツ軍は勢力を拡大していたため、ユダヤ人が安全に通れるルートは限られている。隣国のポーランドなどから逃れてきたユダヤ人はあらゆる大使館を訪問し、難民として受け入れてくれる国を探していた。その中で、南米のオランダ領・キュラソー島に避難できると知る。
オランダ領・キュラソー島への行き方はただ1つ。日本を通過するルートで避難する。モスクワからシベリア鉄道でウラジオストクへ行き、日本を経由するというもの。(1940年はリトアニアがソ連に併合された時期と重なる。)日本を経由するにあたってビザが必要で、そのビザを発行したのが杉原千畝さん。このビザがなければ、数千人のユダヤ人は避難できなかった。「逃げ道はただ1つしかなかった。ただ一つ。」という(ビデオでの)語り部さんの言葉が印象に残っている。日本のビザが最後の砦だったということも伝わる。
このビザの発行にはいくつかの条件があった。その中の1つに渡航や滞在に必要なお金を十分に持っているということ。もちろん難民なので、そのようなお金はない。日本の政府の取り決めとしてはビザを発行できないが、杉原千畝さんは独断で「命のビザ」の発行を決断。ビザの書類には手書きの記入が必要で、何千人ものビザ書類を作成するのは大変な仕事だったとのこと。
大使館にあったJCBの資料で、お金はアメリカのユダヤ人協会から支援があったと書いてあった。杉原千畝さんと同じく、オランダ領へ避難するためオランダ人大使もビザ発行に尽力した。
1番印象に残った言葉。「もし、夜中に逃げ場所を探し求めるユダヤ人の少女が家の前に現れたら、あなたはどうするだろうか。その決断次第では、家族を命の危険にさらす恐れすらある。このような道徳的選択に迫られる場面を想できなければ、ホロコーストについても理解できないだろう。」というメッセージ。
あの時代にリトアニアに住んでいたら私はユダヤ人を匿っただろうか。目の前にいる手助けが必要な人を助けることができただろうか。記念館の展示には、当時リトアニアでユダヤ人を匿い、誰かに密告され亡くなったという実話がいくつも書かれていた。
「ホロコーストで多くのユダヤ人が虐殺された。」という言葉だけではなく、実際にユダヤ人たちがどのように難民として生活し、逃げ道を探して生き延びていったのか、暫定首都だったカウナスの住民がユダヤ人とどう接していったのか。杉原千畝さんの功績はもちろんのこと、オランダ人大使やカウナスの人々の物語が詰まっていた。日本からは決して遠い場所とは言えないけれど、行く価値のある場所だと思う。
杉原千畝さんの当時の仕事場を再現した部屋。ここで記念撮影。
この記念館に来るまでは杉原千畝さんがビザを発行して多くのユダヤ人を救ったという事実しか知らなかった。今後もユダヤ人迫害の歴史についてもっと知っていきたい。
帰りの電車の時間もあるので、2-3時間ほど滞在してビリニュスへ。
ビリニュス-カウナスの電車
行きはビリニュス駅で切符を購入。学生料金があるのを知らずに、正規料金で買う。帰りの分はネットで購入。ネットで見たら学生は半額だった。片道1時間程度。電車の本数は多くないので注意。
ビリニュス観光
杉原千畝記念館で大満足の私たちは、首都ビリニュスに戻ってざっくり観光する。
建物の左右で色が違う教会。右側だけ後で立て替えた?
ビリニュスの要塞。旧市街地とその周辺=要塞+お城+茶色の屋根
なんか風情があっていい。
これまではお昼に観光していたけれど、夕方の観光も悪く無い。
ゲディミナス城
夜8時をすぎた頃。写真だとよく見えない。上に登る道はいくつかあるけれど、1つ以外封鎖されていた。頂上までの道は急な坂だけど、その分思ったより距離は短い。
頂上からの景色。久しぶりに夜景を見た気がする。日本の地方都市くらいの規模感かな?大きくは無いけど、綺麗。
これが塔。先程の夜景を見ている所と同じ場所がある。20時を過ぎていたので、タワーに登ることはできず。
少し時間が経った後の夜景。こんな街の中心部から夜景が見れるのはいい。ビリニュス観光するなら、ゲディミナス城からの夜景はおすすめ!
お城。バルト三国のお城はシンプル。
教会。白基調でこちらもシンプル。
旧市街地
お城まで全部見終わって、最後に旧市街地へ。バスまで残り時間が少ないので、写真はほとんどない。雰囲気は他のバルト三国と同じ。イースター前の金曜日ということもあり(イースターはお店が閉まる)若者から大人まで飲み歩いている。
このゲートをくぐって旧市街地は終わり。リトアニア観光も終わり。
当日決めたカウナス行き。行ってよかった。夜景も見れて、バルト三国で1番満喫した。明日ポーランドを観光して、明後日の早朝ブダペストへ帰国。
では、次のブログでお会いしましょう~!
Szia(シア)~!:ハンガリー語で「さようなら」
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